マラウイコーヒーの起源

マラウイには1800年代後半まで、コーヒーがもたらされませんでした。

スコットランドの園芸家のジョン・ブキャナンが

Nyasa種を持ち込んだ事が最初だとされています。

病気との闘い

1920年代以降、CWDと呼ばれる病気がコーヒー栽培に影響を与えていました。

さらに、生産量が多い紅茶に対し、政府が助成金を優先するため、

コーヒービジネスは大きな実りがありませんでした。

他の国と比べ、マラウイは小規模農家が多く、特に大きな被害がありました。

多くの農家が、より安全に育てられる紅茶に切り替えてしまいました。

肥料の導入と試行錯誤

1990年代まで、マラウイではコーヒー豆の病気に対抗するための肥料を

多く導入する状態が続きました。

しかし、肥料は高価で十分な量を常に確保できないため、苦戦を強いられました。

その結果、多くの農園がコーヒーの栽培を諦めてしまったのです。

コーヒーへの希望と現実

そんな中でも、一部の農家たちは、

マラウイの豊かな土壌や気候でできる豊かな風味のコーヒーは、

スペシャリティコーヒーの分野に入っていけると考え、希望を抱いていました。

また、コーヒーはリスク分散と経済安定に重要な役割を果たすと

考えられていました。

マラウイでは、メイズ(主食「シマ」の原料)が産業利益の70%を占めており、

不作時に影響を受けやすいからです。

コーヒービジネスの起源

1950年代からは、多くのマラウイ人がコーヒーの栽培を始めました。

最初は英国の植民地支配を受けていたため、

英国主導のビジネスとして始まりました。

全国で栽培が可能でしたが、特に南部が主要な生産地となりました。

しかし、コーヒーの生産量は紅茶ほど伸びず、

2019年までのデータを見ても大きな成長は見られませんでした。

病気の再来

1990年から1991年にかけて、大きな病気が再び発生し、

コーヒー産業にとって大きな試練となりました。

また、政府の助成金のほとんどはトウモロコシ(メイズ)に向けられ、

他にはたばこなど、すぐに収益につながる作物にしか支給されませんでした。

肥料についても、コーヒー向けのものは優先的に支給されず、

不利な状況が続きました。

コーヒー産業の試練

さらに、コーヒーは植民地時代の名残が強く残っているため、

多くの貿易国に敬遠されることが多く、

ベルギー、英国、南アフリカなどへの輸出が中心となっていました。

マラウイコーヒーと現在

現在、政府は新しいビジネスチャンスをつかむため、

コーヒーの品質を信じる農家への支援を少しずつ拡大しています。

今後はマラウイのコーヒーが単に輸出されるだけでなく、

国内でも高値で取引されることや、

品質をしっかり見極めた上で輸出されることが求められています。